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【歴史】土偶と埴輪はどう違う?

日本の歴史を勉強していると、『土偶(どぐう)』『埴輪(はにわ)』が出てきます。

どちらも人の形を模した人形なので、少しややこしいですよね。

 

ややこしい部分をそのままにしておくと、テストで出てくるたびに2分の1に賭け続けなければいけません。

きっちり理解すれば、土偶と埴輪は明確に違うことがわかるので、ここできっちり覚えて、次回からはテストでも自信をもって答えられるようにしてください。

 

土偶と埴輪はここが違う

一見似ているような土偶と埴輪ですが、いろいろと違いがあるのでそれぞれの特徴を覚えてください。

 

時代が違う

そもそも土偶と埴輪では出てくる時代が違います。

土偶は縄文時代に作られたもので、埴輪は古墳時代です。どちらも大昔には違いありませんが、土偶の方がより古い時代のものです。

↑土偶

↑埴輪

どちらも人をかたどったものですが、埴輪の方がより精巧で人間らしいですよね。

 

目的が違う

時代が違うだけでなく、実は土偶と埴輪では作られた目的も違うのではないかと考えられています。

土偶が作られた縄文時代は、狩りや採集などを共同でおこなっていた時代です。

 

そんな暮らしをしていた当時の人々は、雷や地震など自分たちの力ではどうしようもない超常的な力を持つ自然を畏れ敬っていました。

そうした中で、魔よけや豊かな恵みを願って土で女性をかたどった土偶が作られたと考えられています。

また、この写真からもわかるように、意図的に破壊された状態で見つかることが多く、呪術的な用途があったのではないかとも考えられています。

 

縄文時代には小さなムラの集まりでしかなかった日本(倭の国)は、弥生時代には少しずつ小さな国々が生まれ、卑弥呼が治めていたとされる邪馬台国が30ほどの小国を従える大きな国になりつつありました。

 

そして埴輪が作られた古墳時代には、大和地方(現在の奈良県)を中心に大和政権が広がり始めました。

大和政権の王は大王(おおきみ)と呼ばれ、九州から東北地方南部の各地の王を従え、現在の日本に近い範囲を治めるようになりました。

 

そんな中で、王や豪族の権威を示すため、大きな墓(古墳)が作られるようになります。

令和に入って日本で最初に世界遺産に認定された百舌鳥古墳群の仁徳天皇陵が有名ですよね。

 

そして、埴輪はそんな古墳の周りに並べられ、古墳の大きさと同様に、そこに眠る王や豪族などの権威を示すためのものだと考えられています。

 

土偶は基本的に女性、埴輪は人型だけではない

土偶は、縄文時代に作られたものなので、そこまで精巧ではありませんが、基本的には人型、特に女性をかたどったものがほとんどです。

一方埴輪は、この写真からもわかるように、実は人間の形だけではなく、馬や家などをかたどったものもあります。

さらに言えば、一番多く発見されているのは円筒型とよばれるただの筒型のものなのです。

 

まとめ

このように、土偶と埴輪は一見似ているようで、時代も用途も違うものなんです。

細かい話をすれば埴輪は埴輪土偶と呼ばれることもあり、埴輪も土偶だ、なんてややこしい話もあるにはあるのですが、中学の社会においては土偶:縄文時代 埴輪:古墳時代でOKです!!

テストに出てきた際にはきっちり答え分けられるようにしてください!

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塾長 増田

学習塾 Step by Stepの塾長。担当は数学と理科、国語。

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