「勉強なんかして将来何の役に立つの?」「足し算、引き算、かけ算、わり算ができれば十分やん。関数とか将来絶対使わへんねんからやらんでいいやん。」
こんなことを言ってくる生徒が毎年必ずいます。私だって子どもの頃はそんなことを考えていました。
皆さんも一度は考えたことがありませんか?
勉強をする上で、誰しも必ず一度はぶつかるのは「なぜやるの?」という疑問でしょう。そんな疑問を抱えていては、集中できるものもなかなか集中できません。
そこで、私が生徒に話していることを少し紹介します。これを見て、ほんの少しでも勉強をする意味を見いだせてもらえれば幸いです。
目次
自分の証明書になる
一つ目の勉強する理由は、今の内に勉強しておくことが将来の自分の証明書となるということです。
証明書と言われてもピンと来ないと思うのですが、まず日本の現状を見てみましょう。
今の日本は学歴社会
現在の日本は学歴社会です。これはどんなに否定しようが間違いなく学歴社会です。
例えば年収で比べてみても一目瞭然でしょう。
日本人の平均年収は約410万円と言われていますが、東京大学卒の平均年収は約729万円です。
他にも、東大を含む旧帝大(東京大学・京都大学・大阪大学・名古屋大学・北海道大学・東北大学)卒の平均年収は約617万円。関西の国公立大は約495万円。
関西の有名私大である関関同立も約492万円、産近甲龍は450万円です。
それらに比べると知名度があまり高くない、いわゆる普通の大学の摂神追桃でも419万円と、いずれも日本人の平均年収を上回っています。ちなみに高卒の平均年収は約300万円ほどです。
もちろん個人差はありますが、平均を見てみるとここまではっきり差が出ているのです。
学歴なんて関係ない、その人の人間性の方が大切だ。と言いたいところですが、その人間性を見てもらうためには学歴が必要だったりするんです。
ちなみに年収が50万円違うということは、40年間働くと仮定すれば生涯年収は2000万円変わります。
子どものうちに勉強しておくことがどれだけ効率が良いことなのかは大人になれば身に染みて感じると思います。
そもそもなぜ学歴が重視されるの?
上にも書きましたが、人間性を見てもらうためには学歴が必要な場合もあります。わかりやすいのは就職活動でしょう。
いわゆる大手企業に就職しようとして、大学生の四年間でどんなに努力して、どんなに素晴らしい能力を身に付けたとしても学歴が低ければ書類選考で落とされます。
努力を見せることができれば認められるかもしれませんが、そもそも見てもらえません。
では、なぜ学歴ばかりが重視されるのでしょうか?
私も大切なのはその人の人間性だと思います。しかし、すぐにその人の人間性などわかりません。
例えば友達なら、一緒に過ごしているうちに、様々な出来事が起こります。
自分もつらいはずなのに人のために動いていた。本当に困ったときに手を差し伸べてくれた。そんな出来事の積み重ねを経て、信用に足る人物だと敬意を払います。
逆に普段はしっかりしているように見えてもいざというときに逃げていたり、裏切られたりすれば、そっと離れていくことができます。
そこに学歴なんて何の意味も持ちません。
しかし、初対面だったり、数回会っただけでは何もわかりません。短い時間だけ自分を取り繕うことぐらい簡単にできます。
そこで判断材料の一つになるのが学歴なのです。
日本の教育は良くも悪くも、数をこなせば何とかなります。公式を理解していなくても何度も練習すれば使いこなせるようになります。
東大や京大と言った一部の大学を除けば、死ぬ気で詰め込めば何とかなるのです。逆に頭の良い人でも、一部のずば抜けた人を除けば、一日や二日の努力ではどうにもなりません。
つまり、学歴の高い人には、継続して努力できる人が多いのです。その事実は10分や15分の面接などよりずっと説得力があります。
なぜなら、その場の取り繕いでは難関校には受からないからです。テレビを見たい、遊びに行きたい、という欲求に打ち勝って机に向かってきた証なのです。
スポーツなどで優秀な成績を収めた人が優遇されるのも同じ理由でしょう。もちろん才能もあるのでしょうが、才能だけで成功するほど甘い世界ではありません。
他の人がゲームをしたり漫画を読んだりしている間に汗を流している人たちです。
自分の努力を周りはわかってくれない。と言う人がいますが、一日二日ではなく、継続して行った努力は必ず他人の目から見てもわかります。
家でゴロゴロしながら、「頭が良い人はうらやましい」「運動できる人はずるい」と言っている人よりも、何か誇れる成果を持っている人の方がどう考えても魅力的です。
学歴主義や、スポーツ推薦などは、なにも頭が良いことや運動ができることを評価しているわけではありません。他の人以上に努力できる人間だということを評価しているのです。
あなたの学歴は、初対面の人に対して「私は努力できる人間です。」という証明書になるのです。
大人になるためのステップ
二つ目の勉強をする理由は、勉強することで大人になれるということです。
「大人」って何でしょうか?
年齢を重ねれば大人になれる?
大人の考え方、大人の対応、など「大人」という言葉はしばしば形容詞的に使われることがあります。「理性的」「知性的」「落ち着いている」などの意味を込めて、一般的には良い意味として使われています。
日本では20歳以上を成人としていますが、年齢を重ねさえすれば大人になれるのでしょうか?
答えはNoです。
30歳、40歳になっても幼い人はいますし、逆に中学生や高校生でも大人だなぁという人はいます。
大人の考え方を育むためには、勉強が大きな鍵を握っています。
直感的思考と論理的思考
「子どもの考え方」は「直感的思考」、一方「大人の考え方」は「論理的思考」です。
本来、成長段階に合わせて直感的思考から論理的思考に移行していき、それに合わせて学習内容も論理的思考力が求められる内容になっていきます。
例えば数学でも、最初は問題文に書いてある数字を組み合わせれば問題が解けるので、直感的思考でもなんとかなります。しかし、学年が上がっていくにつれそれだけでは解けないようになります。
この面積を求めるためにはこの辺とこの辺の長さを求める必要がある。そのためにはこの図形とこの図形の相似を示さなくてはいけない。
そのためには……というように答えから逆算して、問題を解くために必要な手順を自分で考え、論理的に解かなくてはなりません。
京都大学の2006年後期入試の数学の問題で有名なものがあります。
[問題] tan 1°は有理数か
入試以上最も短い問題として有名ですが、やはり論理的思考力がなければ解くことはできません。問題文に出てきた数字を組み合わせるなどということは到底できそうにありませんよね。
この問題のように、難しい問題であればあるほど直感だけでは解けないようになっているのです。
数学嫌いには2パターンいる?
中学三年生の数学嫌いには2パターンの生徒がいます。
- 1つ目は「入学した時から数学ができない。」
- 2つ目は「最初のころはできていたのに、だんだんできなくなってきた。」
入学した時からできない子の原因は小学生のうちにそもそも算数の基礎ができていないことに原因があります。九九がそもそも怪しかったり、分数の通分や約分をわかっていない子が数学はできません。
こういった子が数学をできるようになるためにはじっくり時間をかけて小学生の内容から復習していかなくてはどうしようもありません。
一方最初のころはできていたのに、だんだんできなくなってきたという子は、単に論理的思考力が育っていないだけです。
論理的思考力が育っていないため、問題文に出てくる数字や文字を組み合わせるだけでは問題が解けないようになり、数学が嫌いになっていきます。
しかし、こういった子が数学ができるようになるためには、今まで逃げてきた、論理的思考力を必要とする問題を解いていけばよいのです。
数学は論理的思考力を必要とする教科ですが、論理的思考力を育てる教科でもあります。もちろん数学だけではなく、全ての教科に共通します。
難しい問題が解けないということは論理的思考力が育っていない証拠ですが、その問題が解けるように繰り返し勉強すればいずれ解けるようになります。それはすなわち論理的思考力が育まれたということです。
逆にそこで勉強を諦めてしまえば、いつまでたっても論理的思考力は育たず、いつまでたっても子どもの考え方のままだということです。
勉強をすることで大人の考え方ができるようになるのです。
大人の考え方ができない人は社会に出てもうまくいきません。
最初にも書きましたが、「勉強なんて将来何の役にたつの?」という生徒は毎年必ずいます。
僕はそのたびにこの話をしてからこう言います。
関数も微分積分も大人になったら使わないけど、勉強は将来めちゃめちゃ役に立つよ。と。
塾長 増田
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